「 のら猫物語 」  


             猫 嫌い

私は、本来猫が嫌いである。
子供の頃から、この町には 多くののら猫がいた。潮の香する猟師町 小魚の乾物製造の小さな工場が 至る所にあり、その場所の近くには当たり前のように猫がいて 子供の頃は製造場の猫だと思っていた。     
学校帰りに、小さな子猫を見つけて 「可愛い」思わず 近づくと「ハ-」と威嚇された。
怖かったのだろう、それ以来、猫に近づいた記憶がない。
のんびりと時間の過ぎるこの町、中には「ニャオン」と近づく猫もいたが 触った記憶がない。
大人になっても 「なによ!」ってな感じの、あの「ハ-」が嫌で猫は嫌いだった。それに、こちらが何も危害を加えなくても「悪い奴だ、やばい」と言わんばかりの逃げ方も、「嫌い」の要因だった。

犬は判断が付く 「おいで」に答えてくれる。尾を振り感情を表す。可愛い。私は犬派だ。小学校の頃、新聞配達をし中学校に入って すぐにポメラニアン♂を買った。 「ジミ-」と名付け、どこにでも連れ、一緒の毎日を送った。賢くって可愛いジミーに夢中だった。翌年、父の買ってくれた♀「リン」を加え長い年月を過ごした。 現在のパピヨンと比べると本当におとなしい子達だったように思う。「ジミ-」は16才、「リン」は13才で死去。共に大人になった。語り尽くせない思い出がある。27才の頃の事、「ジミ-」が病んだ時、改めて彼に感謝し、苦しませないように寿命を迎えられるように努力をした。獣医さんの「老衰だから苦しまなかったよ」と言う言葉に、救われた。「犬はもう飼わない」と決めていた。

あの頃、27才の私は、世の中に付いて行けないところがあり、心が乾き、顔も今とは違う。何に対しても無関心で冷めた人間だった。自分中心にしか、物事を考えていなかった。「人間なんて所詮、一人だ。友達なんか要らない。」と言ってた人だった。
一人で生きていく事に、必死だったのかもしれない・・・。心に余裕がなかったのかも知れない。

7年後、1995年3月ミッキーに出逢い、心が解けていくのを感じた。様々な出来事の中、私の中の感情が動き出している事に気づいた。「可愛い。身体を壊さないように。遊びたいよね。痛かったね。」相手の事を気遣う気持ち。
昨日までの自分を振り返る・・・小さな命の前で私は、自分自身がどう過ごしてきたかを知った。
根本の部分から変えられたのだ。

純真な心と時間を共有すると、それまでの私の余計なものはどんどん、どこかへ消えていった。ミッキーと暮らし、少しづつ自信や希望を見いだしていた。それ以前からの苦しかった何年間・・・父の入院も3年目を迎えようとしていた。父が病と戦うように、私たち家族もそれぞれの人生と、戦っていた。逃げ出したくても、逃げ出せない状況に喘いでいた。予想もつかない出来事の重なりの中の 心の余裕のない日々。

少しづつ少しづつ、頑張れば良い。所詮、私なのだから・・・と思っていた。そう言う考え方や心の余裕を 取り戻せたのはミッキーが、傍に居たからだと思う。恋人でもなく、友人でもなく、ミッキーだった・・・。純粋な心の前で私は、時を過ごし、心は少女に なっていた。

父の死後、「仲良く過ごすべきだった」と後悔した。自分自身のそれまでの生き方を覆され、一歩二歩の途中の出来事だった。最後の日の前の晩、病室で父と過ごし、父が話しながらウトウトと眠る様子がおかしくって、思わず笑ったり、寝起きの父が照れ笑いをしたり・・・ そんな時間さえ、それまでに持ったことがなかった私にとっては、とても貴重な思い出になっている。神様が私に仲直りの時間をくれたのだと思っている。子供の頃依頼の時間だった。

そしてミッキーが3才になって間もなく・・・・。追い討ちに会うように・・・現実が音を立てて崩れ落ち・・・私は、過去に引き戻されそうになっていた。身体が苦しかった。現実が受け止められなかった。まだ幼い莉りを連れ 一ヵ月後、私は帰郷した。

暫くして・・・背戸道で暮らす「のら猫軍団」に出逢った。あの頃、今の「もこ」との関わりを想像もしなかった。「この辺、猫が多いなあ」と思いながらも、顔を合わせれば「シッシッ」と威嚇し、莉りにも「にゃん、ダメよ!」と教えていた。
「三つ子の魂百まで」である。
皆、大人しい猫で、隣のおばちゃんや反対隣のお姉さんが面倒をみていた。キジ猫、黒猫、ブチ猫が姿を見せていた。莉りへの病気感染を心配してなるべく近づけないように気をつけ、時折、背戸道からこちらを覗く、猫達に、警戒していた。

「三つ子の魂百まで」そうなのだ。仕方ない。「ハ-」とも言わない大人しい猫なのに、「仕方ない」と思っていた。なぜなら「彼らは、のら猫だから」そして「私は猫が嫌いだから」そう納得していた。人間変われば変わるものだと思う。あの頃を思い出すと、滑稽ささえ感じる。
ミッキーや莉りに、出会う前の私がのら猫に出会ったとしても 同じようには行かなかったに違いないと思う。

          莉りちゃん、しあわせ?

莉りは、躾けの毎日。遊びたい子パピ時代 なかなか大変だった。
そんなある日 「動物たちの贈りもの」と言う本を読んだ。「つぶらな瞳に出会ってから 人生がずっとずっと温かくなった」と言うサブタイトルが付いていて、読みながら涙する記事も多々あり、人と動物たちの心温まる話だ。
集中し、一晩で読み終え、眠りに付きながら 逆に動物たちはどうなんだろう?という疑問が残り・・・考えたが、テ-マが大きすぎて 考えがまとまらずにいた。

横で眠る莉りに聞いた、「莉りちゃん、しあわせ?」ゴロンゴロンとまどろみながらお腹を見せながら甘えていた。当然のごとく 答えはなかったが、彼女の寝顔を見ながら「莉りも大変。ストレス貯まるよなあ。猫の方が自由だなあ」そう考えながら、いつのまにか眠っていた。

次の日から、私は「お座り、お手、お代わり」の練習を止めた。以前から思っていたが、彼女は嫌いなのだ。
「世間並みに、育てたい」と言う思いから、毎日10分人並みの躾けをしていた。
呼ぶと遊んでくれると思い、尾を振り、愛想を振りまくように 甘える。「お手」と言うとペロペロと舐める・・・わっかてないのだ。
「お座り」と言いながら、お尻を押して座らせようとすると 「ク-ン」と哀しそうな声を出す。
逆に、遊びの時間は大張り切りで、幸せそうな顔をする。ボ-ルもきちんと持って来る。「いるの?」と目の上にボ-ルを見せれば、座って待っている。だが、「お座り」はしない。だから、止めたのである。

命に関わる事意外は、躾けないことにした。のんびりと自由に暮らす背戸道ののら猫たち、少なくとも、今の莉りよりは、幸せそうだ。虐める人間はいないし、食事も不自由しない。冬の寒さとの戦いはあるだろうが、ここは比較的に温かい土地だ。
次の日も、次に日も躾けはしなかった。

彼女は、ボ-ル遊びを楽しんだ。
「欲しいの?」と言うと、お座りをし 「頂戴は?」とボールを見せると、お手をし お代わりもすぐに覚えた。そして輝いた目で、ボ-ルを取りに行く。「ハハハ!」な〜んだ!簡単。
飼い主に似て 枠に入らないタイプ 楽しい事には頑張るタイプなのだ。「ハハハ!」
躾からでは、覚えてはくれなかった。遊びから覚えてくれた。何て!私似なのだろう・・・。(笑)

あの夜、のら猫達の暮らしぶりが 頭の中に過ぎったお陰で、莉りも私も 苦労をしなくて済んだ事に間違いはない。とっても小さな発想の転換で 私たちは、より早く 上手に遊ぶ事ができた。




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