「 のら猫物語 」

          屋久島のおばあちゃん

私は、ずっと考えていた。猫のこと、莉りのこと・・・。自分の今後と照らし合わせながら・・・考えていた。
毎日の日課のように、夕飯の前に、猫達との時間も楽しんでいたし、眠れない日に外に出ると、のら猫一家と会い、猫たちも「ニャオン」と寄って来るようになっていた。人懐っこい「チビ」と遊んだりもした。
ある晩、のら猫一家を見ながら思い出していた。
故郷に帰る以前、仕事で九州中を駆け回っていた頃、屋久島に行った時の事を・・・

「何でこんなに猫がいるんだろう?」と思った西側の地区があった。1m足らずの狭い背戸道や、軒下に十数匹の猫達がいた。初めて出会う私にさえ、警戒する事もなくゆったりと時間を過ごしている。たくさんの猫を、初めて見た私の方が驚き、恐々の気持ちを抑えて進もうとした時 道端で腰を降ろしていたおばあちゃんを見かけて少しほっとした。

「あ〜、びっくりした。なんで?こんなに猫がいるんですか?」
「おるからねえ」ゆったりとした口調で答えてくれたが「??」私は一瞬分からなかった。だが分からなかったのは私だけではなく、おばあちゃんは、なんでそんな当たり前のことを聞くのか?と言わんばかりの顔だった。

昔からずっといるのだと言う。暫く、腰を降ろし、おばあちゃんがくれた「たんかん」を頂きながら聞き入っていた。
「悪さをするのもおる。邪魔にせんやったら、悪さもせん」殖え過ぎるかと言うと、そうではないらしい。「外猫だから」との事だ。
5年生きたら良い方で幼い命のまま死んでいく子も多いらしい。中には丈夫なのだろう「7.8年生きとるのもおる」らしい。おばあちゃんは「またね、またね」と見送ってくれた。

何故だか?未だに判らないが懐かしささえ感じながら思い出していた・・・。当時は考えもしなかった、おばあちゃんの言葉の一つ一つの意味を自分の中で消化しようとする自分が居た・・・。


        「生命の島」 に学ぶ、自然や動物との共存とは?


私が後に、季刊で春、夏、秋、冬年4回発行されている屋久島の方たちが出版している「生命の島」で知ったのだが、住民一人一人が故郷に自信を持ち、自然を恵みと考え、小学校では環境教育なる時間を設けて自然との共存について個々が学んでいるとの事だ。研究資料もたくさん残されている。

屋久島は確かに世界遺産だ。だが、それ以前から屋久島に住む人々は、自然との関わりを、住民が探求したのだと思う。自然の未来と、自分達の未来を同じラインで考えている。
住民方々の記事を読むと、故郷を愛しているのが伝わり、当たり前の事柄の受け止め方が、人の心に忘れてしまった、心たるものを教えてくれる文であふれている。読んでいて心の深い部分が、頭を刺激し、考えずにはいられなくなって来る。

私の中で、この島との出会いは、それまでの思考を覆すほどの、言葉のないメッセ-ジをくれた島である。おばあちゃんが言った。「おるけんね」の一言も「当たり前に、互いに生き暮らしているだけなんだ」と、のら猫達を見ながら、おばあちゃんの言葉を、頭の中で繰り返していた。真っ白な頭が、様々な情報で一杯になる。たくさんの中から 自分と言う小さな力に何が出来るのか?何で?こんなに頭から離れないのか?自分でも判らなかった。

人と動物、自然の共存は、可能なのだ。当然だと思う人のほうが正論なんだ・・・。
嫌いでもそれなりの共存は出来る。
「当たり前に生き、暮らしてるだけなんだ・・・」キジかあちゃんに聞いてみた。
「ニャオン」と挨拶をした。返事が返ってくるわけはなかった。
「そうやね」私は、莉りの体をギュッと抱えて帰った。
帰りながら、「でも難しいなあ」と思っていた。当たり前のことが難しい私だったし、世間も同様に当たり前のことが難しい時代なのか、いろんな事件も多い。各自の当たり前は様々だが 私から見て、頭を抱える青少年の事件が後を絶たなく起こっていた。屋久島のおばあちゃんの当たり前と、私の中の自分の感情から来る判断との葛藤が始まっていた。

思えば、私は子供の頃から自然との関わり方や動物との関わり方を、学んでいない。学んだのは動物について、植物についての、ものとしての知識である。ある大人は「動物は可愛がりましょう」と言う、別の大人は「動物は危険です」と言う。根本的な事柄を無視して意見を交わす。要するに 現実として、学んでないに等しい。嫌いなものとの付き合い方など到底学んではいなかったし、それは自分で克服するしかなかったのである。
テレビの中の教育ではなく、実体験の上の学習が必要だった。
花の綺麗さは誰にでもわかるが、花を育てている人は、花を育てる大変さを乗り越えて花の綺麗さを見ている・・・その心の中には愛情や思いがたくさん詰まっている。小さなドラマが必ず存在するから愛しいさも、格別なものなのだろう。花と猫は違いすぎる私にとって・・・大きな壁だった。

「存在の大切さ」ではなく「共に生きる」ことを教えてくれたのは屋久島のおばあちゃんや「動物を邪魔者にしてませんか?」と言う小学生の作文であり「生命の島」の記事である。まだまだ学習不足の私は、困惑の日々を送っていた。自信がなかった。猫嫌いの私が「可愛い」だけの思いで、共存できるのか?何度も何度も繰り返し、自分に問いかけていた。その答えこそがミッキーへの償いのような気がしていたし、自分自身のこれからの生き方の答えのような気がしていた。私は、その頃もう気づいていた・・・認めたくないが自分本位の飼い主だった事を・・・。

「共に生きる」事が一番の方法だと言う答えがそこにあった・・・今後の莉りとの関係もその覚悟で望まなければ、と思っていた。ミッキーに対してそう言う覚悟みたいな感情が足りなかった自分に気づいていた・・・可愛い、大切だけでは、物事の表しか知らない人間のようにも思えた。裏も知って、いつか来るだろう別れの日や突発的な出来事に対しての覚悟をしておきたかった。その上で乗り越えられる自分になりたかった。傷つきたくない心の叫びから来る、自分自身への心の修行なのか?来る日も来る日も・・・答えに近づく為の心の葛藤が続いていた。

(後書き)今、考えると何で?ここまで?と思う文章だが・・・あの頃は何故だか?のら猫たちの暮らしを見てミッキーを思い出し、莉りと私との関わりを考えていた。ミッキーを事故という形で失って・・・莉りとの今後を考える上で、自分の中に自信を取り戻す葛藤だったように思う。そしてもうひとつは、やはり猫に対しての恐怖心が可愛さより上回っていたのだろう・・・。莉りの猫好きと言う思いもよらない行動に、戸惑い・・・少し?ノイローゼ気味だったのかも?(笑)


        いつかまた・・・。

そういえば・・・今、日本で一年間に犬が36万頭、猫が26万9千頭「不用犬」と言うだけで殺されている。確かに、どうしようもない事情もあるだろうし、どうしようもない犬や猫もいるだろう。でも・・・人の愚かさゆえの結果も、多々あると思う。

私がこの事実を知った時に、人間の賢さの裏の 愚かさを垣間見たような気がして、何故か哀しかった事を思いだしていた。少しでも出来る事はしたいと、何が出来るのか?
始めて見よう・・・。なんとなく困惑しながらも、答えが見つかった気がしていた・・・。そしてまた、あの島を思いだしていた。

私は1997年から1998年に三度この島を訪れた。心地好い風、2月なのに温かい、山の緑は風にそよぎ、海は深い色をし、潮の香する島。温泉もあった。この温泉が、実に良い。
最初フェリーを降りた時「良い所だが飽きるなあ、きっと」と思っていた。目的地に向かう車中で、何ていい風!何ていい景色とは思ってはいたが・・・10日を過ぎても飽きるどころか「暮らすには、こう言う所が良いなあ」と思っていた。

母にミッキーを預けていたので、すぐに現実に戻れたが・・今も万が一、私に本当の心のゆとりがあれば、「あの島で暮らすだろう」と思っている。豊かな自然の中に身を置いて暮らしてみたい・・・。自然はたくさんあるのだが・・・屋久島の自然は何故か、語りかけたような・・・上手く言えないが・・・感情を持って生きてる 自然のように思える。

1998年故郷に帰る前に、実際に屋久島での仕事を探した事がある。あるにはあった。捜せばあるものなんだと 自分ながら驚いた。その頃、ミッキーが亡くなり・・・困惑した私は、そう言う現実 全てを忘れてしまい、実家に帰った。久し振りに、過去の屋久島ファン時代を思い出していた。
人と人、人と自然、人と動物が上手く共存し、観光地にもなっている。
屋久島の人たちはゆったりとした時間の中で、豊かな心をもちながら生活している人が多い。
とても居心地のいい場所だ。
同じ頃、奄美大島や種子島にも行ったが、同じ気候なのに 屋久島には本当に 精霊でも居るかのような空気がある。良く判らないが、島自体が語りかけてくる。朝、目覚める・・・静けさの中に自然の音だけが聞こえてくる。
耳を澄ませば・・・何か語りかけてくれている。
上手く言えないが・・心地好い 人の五感に響く何かがあるのだ。
いつかまた、母とおてんばたちを連れて行きたい。近い将来。

「おばあちゃん、お元気ですか?あなたの何気ない言葉は、私に多くの事を知ろうという意識のきっかけでした。人と動物の共存は、可能なんですね。この3年で私は少しづつ 心を取り戻しています。夜も眠れるようになりました。あなたの言葉の響きの中で、なぜだかホッとした私です。ありがとう・・・いつかまた、お逢いしましょうね。」
そう心の中で語りかけながらその日は、答えを見つけることなく眠った。







                 

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