「 のら猫物語 」  

            一大決心!

ミッキーが、亡くなり、莉りは 一人ぼっちで 淋しいのだろう。なんとなく・・・感じていた。
母も当時、働いていたが ある日、母の方から…帰宅した時に、莉りがぬいぐるみを一列に並べて遊んだ後を見ながら、何かを感じたのだろう・・・。食事の時に「今日は並べてあそびよったよ」と言い出した。前々から考えていた 多頭飼いを相談してみたが、答えは沈黙だった。

本来・・・母は、動物ははっきり言って好きではない。小学校の高学年の頃、時々登校拒否をしていた私を見て ある日、父がポメラニアンを見せてくれた。初めて入ったペットショップの中で、私は心が蕩ける気分になったことを 今も覚えている。帰りながら「欲しかったら、新聞配達をしろ。半分は父ちゃんが出してやるから」と言った。素直だった私は自分の感情のまま、その通りにした。そんな私を見て母は、毎日のように父に「本当に買ってやるん?嫌〜」と言っていた記憶がある。念願かなって、我が家にやって来た子犬のポメラニアンを目の前にしても、決して抱こうとはしなかった人だった。何年も何十年もかけて慣れていった人だ(笑)今も相変わらず、「もう一匹」と言う私に対して「嫌〜」を繰り返していた。だが、幸いに厳格な父と何十年も暮らしている母は、順応性を持った人で 嫌いだから虐めると言う意地の悪さを持たない人、飼える事は私には百も承知の人格を持った人だった。

私の野望は、その頃から実行に移され、莉りを母に引っつかせる、一緒に寝るように仕向ける、「莉りは、おばあちゃんが好きよね〜♪」と言い聞かせ なるべく母に甘えるように躾けた(^^ゞ
いつか莉りに伴侶をと思っていたからである。後に、子供を生ませて現在に至るわけだ。(笑)

のら猫かあちゃんたちを 見ていると、決して恵まれた環境ではない。雨の日もある、これから来る冬は 寒いだろうし。人には恵まれていると思うが、子供を連れた生活は、大変だ。
この前死んでた子猫のことを 不思議に思っていた私は、もしかしたら・・・の気持ちで聞いてみた。隣のおばちゃんによると、「以前、猫いらずを与えられたと、明らかに分かる死んだ猫を何度も、見たことがあるし、処分もして来た。」これは大変だ!どうしょうもない。以後、彼らを「猫いらず」と私は、言う事にしている。やはり10mも離れていないご近所さんだ。彼らを、知っているが、甲高い声をした 嫌味のある顔を した人たちだ。

この事をきっかけに・・・私は、大きな決心をした。
「外猫として、慣れているキジかあちゃんの子の 面倒見よう」餌を与え、病気に備えて 獣医にも連れて行き、回虫の虫下しも飲ませ、ノミ対策としてフロントラインもしよう、良いじゃない。彼らとの共存も。と急に決心したのである。
放っておいても、生きていく。近づかない暮らしよりも、莉りの為にも、彼らの健康管理を、サポ-トして、病気になったら獣医に連れて行こう。考えながら、自分ながらいい考えだと思った。決めたとたんに 頭の中がすっきりした。

母は、「餌代や病院の費用もかかるのに。」と怒っていたが、幸いな事に 私は子供ではなく仕事を持っていた。「そのほうが、莉りにとってもいい環境だし、病気になるよりいいはず、放っておいても良い事ないよ」「山に捨てにいけば良い」と母は言った「わたしゃ、猫は好かん」とも「私もよ。でも・・・私は、山に捨てにはいけん。自分が行けば良い」と口論が続く、最後に「とにかく、そうするから、家の中で飼うわけじゃないから・・・」と告げた。幸いな事に、母は「山に捨てに行く」ことの出来ない人で、「放っておいても、良い事はない」の意味を理解していた。

でも・・・まだ彼らは小さいし、触った事もない。「どうしよう?」私は次の日、仕事帰りに薬を買い、いきなりは無理だと判断し、まずは触ってみようと思った。
これまた幸いな事に、隣のおばちゃんが餌をあげていた。「私触った事がない」と言い終わらないうちに、慣れているキジを、ひょいっと持ち上げ 私の目の前に「・・・」驚いたが 抱いた。かよわい体、子猫は「ふにゃん」と言いながら飛び降り、キジかあちゃんに「にゃおん」と甘えた声で、「スリスリ」をした。が、逃げはしなかったので「チュチュチュ」と、舌打ちをし、呼んだが「にゃおん」と挨拶だけで、寄っては来なかった。子供の頃、初めて猫を抱いた時のような嬉しさはなかったが、心臓はドキドキと鼓動を高めていた。

そんな様子を見ていた、モコモコもこちゃんは、さっと逃げ、少し離れた所で、こちらを見ていた。もう一匹の、顔に白のブチのあるキジは、黒猫の子なのか?キジかあちゃんの子では?黒かあちゃんの体の斜め後ろに、身を引っ付けジ-と見ていた。

ブチ模様のばあばあ猫は、子猫に今までになく近距離にいる私に、私の嫌いな「ハアッ-」をした。嫌な奴。

とりあえず方向性は、決まった。後は焦らずに、行動しようと思った。答えが出て、ホッとした。これからを 考えている時に、屋久島で会った、あのおばあちゃんの顔を、また思い出していた。「おるけんねえ」と言う 言葉の言わんとする 意味を、何度も、自分の環境に当てはめながら・・・この数日間、頭から 離れなかった。

多分、彼女の言う事が 正論なのだ。それが私の中から消えなかったし、今も多分、忘れる事はない言葉に、代わっていた。「カ-」「ハアッ-」「ハ-」・・・この生き物との、共存を決めたのである。私の中で何かが、変わり始めていた。







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