「 のら猫物語 」

          
            1999年初夏(子猫)

冬は陽だまりに身を寄せ 姿を現すのら猫たちも、夏はそれぞれの住処に入り込み 涼んでいるのか 余り姿を現さない日が続いた。「ちゃあちゃん」の子供が、また産まれた。今回は近所の人たちと どうしたものかと話し合ってはいた。前の家のガレージの中の棚の上に産んでいたらしく ある日呼ばれて行くと キジが2匹黒が1匹産まれていた。とリあえずその場所から他に移動をしなければ、昼間は閉め切っているわけだから と言う事で初めて威嚇する、「ちゃあちゃん」を隅に追いやり、捕まえて下に降ろし 次に抵抗する力のない生まれたばかりの子猫を降ろした。

「ちゃあちゃん」は私の方を見て「ニャオン」と鳴き、キジを咥えて移動をした。私は、後で里親捜しをすれば・・・と思い「ちゃあちゃん」を広い倉庫に誘導した。その頃には もう信頼関係は出来ていたのか 子供を2匹抱えて歩く 私の後について来てくれたので引越しは簡単に終わった。「もこ」がその場をたまに利用していたので ダンボールはすぐ用意できた。とりあえず中に入ってくれたので 急いでシート、タオル、ミルク、を用意して戻った。

「にゃお」と鳴き迎えてくれた。以前チビたちを産んだ時のように、傍に近づいても威嚇もしなかった。「ちゃちゃんも大変やネエ」と語りかけながら ミルクを飲むように「ちゅちゅ」と舌打ちで呼び、飲ませた。子供達は母親が離れる瞬間「ミャー」と鳴くだけで 騒ぎもせず3匹が寄り添っていた。私はダンボールではなく 籐の莉りのお古の籠に シートを敷きタオルを敷いた物に子猫を移動させた。「チビ」、「もこ」が来て 様子を覗き込んでいる。何日居たのだろう?暫くして「ちゃあちゃん」は、場所換えをしたらしく、餌を食べにやって来るだけで 籠は空っぽになり 子猫達も 見当たらなかった。
知り合いに飼ってくれる人はいないかと探したり、お願いした私の立場も無く 子猫達は消えていた。





             1999年初秋(チビのけが) 

暫くして大柄のキジが姿を見せた。多分子猫達の父親だろう。どこでどうやって出会い どこで暮らしているのか?餌場にだけは当然のようにやって来ていた 「ちゃあちゃん」と「子供達」が消え暫く心配したが、ある日一匹の「キジ」と一匹の「黒猫」が姿を現した。里子に出すタイミングを逃してしまった・・・。一ヶ月見ない間に、子猫達はもう 自分の意思での行動をするまでに 成長していた。子猫達は「チビ」や「もこ」と遊び、母親の「ちゃあちゃん」に甘えて チビたちにもそうしていたように、夜になると 家族で車も人もいない道や前の家の庭で遊んでいた。「ちゃあちゃん」が瘠せたように思えたが、餌も食べるし心配はしなくても良い様だった。どうしたのか?一匹数が少なくなっていた。

「チビ」は、兄弟が出来ても甘えん坊は治らず、「ちゃあちゃん」から怒られる事が多かったが、身体も大きくなり 体調も良く、上の猫と喧嘩に忙しい毎日を送っていた。「もこ」は去勢をしたせいか、喧嘩とは無縁の様子で「逃げるが勝ち」と言う様子だった。牛乳箱に入って寝ていた「ブス子」も大きくなり、隣の屋根に住処を移したらしく たまに弱いのか追い回されていたが 大きく成長した「チビ」と共に、上の猫に挑んだ。どちらかと言うと「チビ」の方が、前に出て 「ブス子」は援助に廻っていた。秋のシーズンを迎えると共に 来る日も来る日も喧嘩は続いていた。

「チビ」が怪我をした。疲れきっていた。2日間の休みの前の日だったので我が家に入れ 洗濯籠にタオルを敷き中に入れた。丁度外は雨、「チビ」は食事をとり 莉りと過ごした。相変わらず仲良しだ。最近は以前のようにじゃれあいは無かったが、顔を合わすと必ず莉りに擦り寄って 挨拶をする「チビ」。莉りは360°回転でお出迎えの儀式をする。「チビ」の身体をごく薄めの ヒビテンで消毒し、傷の手当てをする間も心配して傍で見ている莉り。微笑ましい。「チビ」は、その日一度、玄関まで出たが ドアを開けて雨を見せると 砂場でおしっこをし、またいつも眠っている籠の中に入りずっと眠っていた。次の日の朝も疲れ果てているのか起きる事もなく、ただひたすらに眠っていた。
「もこ」が夜、来て一緒の籠に入って眠った時も、朝 起きて隣で毛づくろいをしている時もびくともせずに眠っていた。「もこ」は、食事を済ませ 朝の散歩にひとりで出かけた。「チビ」は夕方目が覚めても外には出たがらず、食事、排便を済ませるとまた眠ってしまった。様子が気になり熱を測ったがいつもと同じだった。一応念の為に、明日病院に連れて行こうと思っていた。

そう言えば「ちゃあちゃん」の姿も見えない。どうしたのだろう。夕方呼んだ時にも来なかった。心配になって夜捜してみたがその頃は、高い塀のある斜め向かいの広い敷地の庭に 子供連れでいるらしく姿は見えなかった。この頃瘠せてきていた。以前のように隣の駐車場にも姿を見せなくなっていた。おそらく「チビ」と上の猫の喧嘩のせいに違いなかったが、少し肌寒い日が続いていたので気になっていた。子猫は瘠せ気味ではあったが人懐っこさを持つ子猫に成長していた。「キジ」の方は、「チビ」の後を付いて廻り「黒猫」は、餌場でも「ちゃあちゃん」の傍から離れずにいた。心なしかチビ達が子供の頃よりか、体格も小さく顔つきも幼かった。

翌日仕事の前に獣医さんに「チビ」を連れて行った。「しょうがないなあ」と言われた。「大丈夫」とも言われた。帰りに「アガリスクをもう一度飲ませてみましょう」と言われた。なるべくプロポリスもアガリスクも飲ませるようにしていたが、この頃では 手に負えないほどの俊敏さを見せるようになっていたので週に一、二度になっていた。この時期は仕方ないと言われた。交配シーズンを牝達が迎える頃牡同士の縄張り争いは、自然のものだから人間にはどうする事も出来ない営みなのだろう。病院を出て初めて「チビ」を連れて 一緒に客宅に行った。途中リードで散歩をし おしっこをさせた。仕事中客宅に入っている時は、車中でじっとしていたようだ。こちらが驚く程「チビ」は言う事を聞いてくれた。「ここはどこ?」という顔はしていたが 怖がりもせずに私の顔を 時折見て、まるで飼い犬?のように忠実だった。夕方帰ると「もこ」が出迎えてくれた。

「チビ」を降ろし餌場に餌を持って行くと、「ちゃあちゃん」が現れた。正直三日も姿を見せなかったので心配していた。ほっとした。「ちゃあちゃんと子猫たち」そして「チビ」、「もこ」、「ぶちこ」、「ブス子」がその日のメンバーだった。皆、家族のように 喧嘩もせずに食事を済ませ、毛づくろいを済ませると各自がそれぞれのねぐらに戻って行く。昼間とは違う、初秋の肌寒い夜が始まっていた。

「チビ」は、その日も夜遅くに現れ 我が家で眠った。「もこ」も一緒に来た。
夏から秋の季節の変わり目の 気温差も手伝い 夜になると夏は遊びまわっていたが、この時期は良く眠りよく食べていた。「チビ」の体力も戻ってきたのか?夜中の「もこ」との追っかけあいこには、まいった。もちろん莉りも参加する。私が「うるさい」と言うと自分のことは棚に上げて莉りは、二匹を「ワン」と怒った。不思議な事に莉りの一声の方が 私の一声より効き目を持っていたらしく、やがてそれぞれが眠りについた。それにしてもおかしな莉り!
近頃では、散歩に行くと途中まで「もこ」がついて来る。当たり前のように自然に・・・。

莉りには仲良しワン子が居ない。何で?猫なんだろうか?散歩の途中で会っても、必ず吠えてしまう。
今だもって、私には判らないでいる。莉りの心の淋しさの隙間に、のら猫がすーと入り込んだのだろうか?初めて見た時から怖がらずにいた。威嚇もせず じっと見ていた。散歩途中であう他の猫には、吠えるのに?
ミッキー亡き後、莉りにとって彼らは、莉りの中ではミッキーなのではないかとは思う。急に独りになった莉り、毎日を過ごす中、久し振りに会った自分と同じ程の体格の猫達に 親近感を覚えたのに違いないと思っている。よく判らないがそうこじつけでもしないと 理解できない。

莉りは来年3月に2才になる。体が大きい方でなく食も細い、体力がない様に思えるが、獣医さんのお世話には滅多にならない程健康な子だ。私は以前から莉りの交配を考えていた。一人より二人の方が良いのではないかと思っていた。これから牡犬を迎えるか、莉りに子供を産ませるか・・・
結論的に自然に逆らわず、子供を産ませて その中の一匹との暮らしが 彼女にとっては良いのではないだろうかと考えていた。いろんな犬の専門誌を読みブリーダーさんを調べたり、ペットショップがあれば「知り合いにパピヨンの交配をしている人はいないか」と聴いてもいた。
雑誌で知った方に尋ねたら、「是非一度牡を見に来て見たら」とお誘いを受けていたので、伺ってもいた。たくさんの牡がいた中に「この子なら」と思えたパピヨンがいた。私はひそかに心に決めていたが、「ヒートが来てからでも良いですよ」と言われその日は告げずに帰り、あとは莉りの体調を見極め、ヒート時に連れて行くことを決めていた。莉りは性格も良いし、顔も可愛い。体毛が少ないのがやはり気になっていたが、どうしても莉りの子供が欲しかった。私の言葉もだいぶ理解しているし、彼女の訴えもだいぶ判る様になっていた。精神的にも環境状況的にもこの時期が良いと思っていた。パピヨンの場合だいたい2、3匹の出産と言う事だったので 出産後の子育ての時間も、今の仕事なら取れると思い決断した。

何故だろう?この時点で覚悟が出来ていた。おそらく私はこの先も生涯一人で生きる事になるだろうと、ふっと思った。傍に莉りがいて、莉りの子供がいる。それだけで十分だと思った。そして、仕事のないことを理由に、この町を後にする事は もう決してないだろうと思った。この町で、母と莉りと共に生きていく覚悟が出来ていた様に思う。
私の人生と彼女の人生が、一つになる覚悟はたくさんの覚悟が必要だったが…後悔ないことも わかっていた。









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