「 のら猫物語 」

         チビの病気と病院通い。

チビは相変わらず人懐っこく、わんぱくに成長していた。自由に遊びまわり、自由に我が家に出入りしていた。母だけの時には決して近寄らず、私が帰ると 必ず駐車場まで「ちゃあちゃん」と「チビ」「もこ」の三匹でお迎えをし、甘えて食事の催促をした。体も大きくなり、顔つきも男の子らしくなっていた。「チビの子が欲しいな」と思ったが、これ以上は到底、無理だった・・・責任が取れない。チビを病院に連れて行くことにした。「ちゃあちゃん」も連れて行こうとしたが、私の手にかかるような、猫ではなかった。抱いた事も触った事もなかった。彼女は飼い猫ではない。甘える事も私にはなかったし、挨拶と近距離でのチビとの遊びの許可はくれたが、自分は決して寄っては来ず、じっと見ていた。チビの甘えのおっぱいコールも ちゃあちゃんの再三の威嚇によって少なくなって来てはいるが 甘えん坊は未だに健在だった。

風邪気味で動きの悪かった日を選んだ。甘えに来たチビを、いりこで釣って獣医さんを訪ねた。獣医さんの方に 風邪の症状が取れない事を、話したら血液検査をしてくれた。「猫エイズは、大丈夫ですが、この子白血球が、少ないわ。あんまり長生きしないかも」と言われた。「どういうことですか?」「この子の場合 注射をする方法もあるけど効果がないかも?」「・・・」
耳の掃除と検便も してもらった。「胃、腸も弱いからあまり生は良くないよ」「・・・」確かに下痢は時々あった。
チビは、元気である。風邪気味だが、毎日餌を食べ、自由な時間の中 気ままに過ごしている。なぜ?

言葉を失った。「どうすれば、いいんですか?」
「こう言う状態でも、長生きする子も居るから、気落ちしないで。」と私に気を使ったのか、獣医さんはそう言っただけだった。月に一度の注射をお願いして・・・帰った。頭の中で「何で?」「何で?」と繰り返すばかりだった。

私は、チビの気質では 無理だろうと思っていたが、チビをなるべく外に出さないようにしようと決心するのが精一杯で困惑のまま帰路に着いた。。その日は去勢をするはずで行ったはずが、そのまま帰ってしまった。私が、その事に気づいたのは何日か経った日だった。なぜ?獣医さんは「どうしますか?」と念を押してくれなかったのだろう?そう思いながらもそれから、月一度の病院通いが始まった、血液検査と注射で、去勢の話はどちらからも出る事はなかった。

チビは、風邪が落ち着いたのか 相変わらず、ふらふら遊び歩いていた。何日かを、莉りと一緒に家の中で過ごしたが 身体の回復と共に、どうしても落ち着かずに 仕方なく外出を許可するしかなかった。風邪の症状が落ち着いた頃、獣医さんがアガリスクを出してくれた。「免疫力を上げる為」とのことだった。

幸いその知識は私にもあり「家の莉りも、アガリスク入りのプロポリスを飲んでますが、」と言うと「あっ!それでも良いよ。そうなんだ」と獣医さんが言った。でも、我が家のは、粉末ではなく液体で、チビには、粉末の方が飲みやすいかも・・と思い、頂いて帰ることにした。3,4ヶ月して、チビは、元気になった。トレイの中に用を足すので便は毎日見ていたが、下痢も無く、食欲もあった。獣医さんが以前言った言葉が、嘘の様に彼は、回復していた。
元気になると家には居ない・・・また以前の生活に戻っていった。たまに帰ってくると籠に入りジーと何時間も安心しきったように眠っていた。出来るだけプロポリスを与え、餌もきびなごや鯵を煮たり、時々新鮮なものは、生をそのまま与え、身体の抵抗力を作るように気を付けていた。家の中で簡単に作れる 猫の好きな草なるものも植えて見たら、とても気に入ったのか本当に美味しそうに 食後に食していた。同じ餌を食べていた「もこ」は、この時期とっても毛ぶきが良くなり益々、その名の通り「もこもこもこ」になった。



       独りぼっちになった「ぶちこ」

1999年この春、「ばあばあ猫」が、たまにしか現れなくなり 見るたびに瘠せ、身体と顔の皮膚が所々、堅くなっているような状態が見られた。「チビ」も、一人行動が多くなっていたし、「ばあばあ猫」とは、身体を摺り寄せたりはしなかったので、一応の安心はしていたが「もし?おかしな病気なら」仲良しの「ちゃあちゃん」や「黒かあちゃん」が心配だった。2ヶ月の間に5回姿を見せ、やがて彼女は二度と餌場に来る事は無かった。3m以内に近寄らずに、いつも子猫たちをジーっと見つめていた「ばあばあ猫」は、こちら側のサポートも受けずに・・・静かに息を引き取ったのだろう・・・。

暫くして・・・。「黒かあちゃん」も同じ状態になり1ヶ月もしないうちに、背戸道で横たわって、死んでいた。「黒かあちゃん」の時は、目の前に私がいても平気な子だったので、手を伸ばし病院に連れて行こうと試みたが、スーッと交わされた。

「チビ」や「もこ」の場合は、ダンボールの中で眠っていたから 横たわっている時に、病院へと連れて行けたし 抱かれる事にもなれてもいた。「チビ」、「もこ」、「ぶちこ」をこの場所に残し かあちゃん猫たちは、子供達が大きくなった今、滅多にこの寝床は、使って無かったのでどうしようも無かった。可愛い大きな目の綺麗な黒猫だった「黒かあちゃん」。いつも母親の「黒かあちゃん」の傍から離れ無かった「ぶちこ」は、独りぼっちになった。「チビ」同様「ぶちこ」も母親が好きで、いつもチビのようにおっぱいをせがむ事は無かったが 母親を見ると寄って行き 甘え、常に傍にいた。彼女のことが少し心配だった・・・。
「黒かあちゃん」は、懐いていた隣のお姉さんの所にも甘えずに・・・静かに、姿を消した・・・。

憶測に過ぎないが、彼女達の表情は苦悩に満ちていた。私は、何か食べ物に混ぜられ 与えられたのでは?ないかと思っている。ある日突然吐く、そして食欲の減退?毛玉を吐いたのだろうと見ていたが、いつもと違う。気にはなったがすぐに姿を隠した。汚物を確認しに行くと、魚の頭の端切れがあった。すぐに海に捨てた。どこからか「ばあばあ猫」が持って来たに違いない。毎日何時間か 一緒にいれば分かるだろうが、その後 こちらが気づいた時には、もう遅かった。病院に連れて行くこともなく、見守るしかなかった。手出しの出来ない自分が残酷な人間に思えたが、どうしょうもなかった。憶測に過ぎないが、猫いらずらしきものは 致死量ではなかったが、身体の体力低下に 疥癬症状が重なったのではないだろうか。

同じ時期に、「ちゃあちゃん」も吐いたのだが 彼女の場合は、他の人からの餌は食べなかったから 多分、「ばあばあ猫」の運んだ 魚の切れ端をもらったのだろう。軽くて済んだし ミルクにプロポリスと、ビィオフェルミンを混ぜて 与える事に成功した。暫くして疥癬の薬も与えた、これにはかなりの時間と根気が必要だった。
1時間と言う長い間、私は「チビ」と遊び、傍で見守る「ちゃあちゃん」の警戒心のない顔を待っていた。やがて彼女が 私の傍に置いていた ミルクを飲みに来た時に、サッと捕まえることに成功した。必死だったから、この時は恐怖心はなかった。

初めて「ちゃあちゃん」を抱く事に成功した。彼女は身を固くし怖がっていた。たまに触れるだけでもギックと 身体を震わせる彼女だから、ストレスだったに違いない。餌に混ぜて与える方法は、彼女には通用しなかったから、捕まえるしかなかった。「チビ」が傍らで不思議そうに、「ちゃあちゃん」を見ていた。「チビ」は、抱っこが大好きだから 「ちゃあちゃん」の嫌がる様子が不思議だったのに違いない。
育ちから来る性質の違い、動物の性質の殆んどが後天的なものが多いと思う 環境や出会う事柄によって変わってくる。彼らが生まれたときには母の愛に包まれ、純粋な瞳と無垢な心を持っていたのに違いないのだから・・・。暫くして、「ちゃあちゃん」は、元気になった様子を見せた。くしゃみも痒がる様子もなかったし、顔つきも穏やかな顔つきに変わっていたので、安心した。「ちゃあちゃん」と同じ時期に全ての猫達に、疥癬の薬を与える事に成功していたので、他ののら猫達もその症状は見られなかった。

年はとっていたが、はっきりとした意志の強い顔をしている。威嚇などする事は一度もなく 餌を食べるにしても子供達を優先し自分は待っている。賢くって優しい、いい猫だもの。長生きしてもらいたい。 









SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送